ローマⅡ
ⅵ)サン・ピエトロ大聖堂 (Basilica di San Pietro)
そしてサン・ピエトロ大聖堂が視界に入ってきたが、これはこれまで建設されたものの中で最も背の高い建物だった。エジプトのピラミッドですら及ばなかった。
「多分わたしは建造物の中で最も美しいものを最後に見せるべきだったかもしれない。でもそれはわたしのやり方ではない。美術への造詣を深めるためには、深く、鋭い賞賛を催すものを、まずはじめに見るべきだと考える。」
オベリスクのまさにその形自体に、想像力を豊かにさせる何かが宿っている。頂点は空中へと消え、空にまで人間の偉大な思考が届くかのようだ。オベリスクはもともとカリグラ帝の風呂を装飾するためにエジプトから持ち込まれたが、後にシクストゥス5世がサン・ピエトロ大聖堂のふもとに移動させた。それ以来無数の年月とともに存在し続けたオベリスクは劣化することなく、現在でもそれは見る人の敬意を呼び起こす力を持つ。人は自身があまりにも儚い存在であることを自覚しているがゆえ、不変なものを見た時には必ず強く心を揺さぶられるものだ。
オベリスクの両側から少し離れたところに二つ噴水がある。水が永遠に噴き出し、空中に滝のように大量の水を叩きつけている。田園地帯ではこうした水のざわめきも当たり前のものである。しかし周囲を囲われたこのスポットで聞く水音はまったく新しい感覚を呼び起こすが、それはこの壮大な寺院が呼び起こす感覚と見事に調和している。
これらの噴水から湧き出る水のしぶきが束となって上方に飛び散る様子はあまりにも軽快で霧がかっている。天気のいい日にはここで最も美しい色を放つ小さな虹を見ることもできる。(コリンヌ、4-III)
コリンヌに浮かんだとっさの考えとは、この建造物(サン・ピエトロ大聖堂)が遺跡になった時のことだった。この建物もある時遺跡となり、それから何百年にも渡って賞賛を受け続けていくのだろうか。彼女は現在垂直に立っている柱の半分が水平に横たわり、柱廊が壊れ、ドームがむき出しになっている姿を想像してみた。しかしエジプトからもたらされたオベリスクのみは新たな遺跡の中でも立ち誇っていることだろう。ローマ人はこの世の永遠のための仕事をなし遂げたのである。(コリンヌ、15-IV)
ⅶ)バチカン美術館 (Musei Vaticani)
古代人は石棺にすら戦争や笑いを誘うモチーフを選ぶ。バチカン美術館にある多くの石棺の下部には戦場やゲームの彫刻が施されている。人生の活動を思い起こすテーマは死者にもっとも高い敬意を示すものとみなされていたからである。(コリンヌ、8-II)
バチカン美術館で最も強い悲しみの感情に駆られるのは、そこに集められた彫像のかけらについて思いを馳せる時である。ヘレクレスの上半身、身体から分離した頭、ジュピターの足には、私たちにおなじみな彫像以上に偉大で完璧な彫像を思わせるものがある。それはあたかもここが戦場で、時が才覚と戦った結果、切断された四肢は敗退ではなく時の勝利を象徴しているからである。(コリンヌ、8-II)
ⅷ)ヴェスタ神殿(シビル) (Tempio Sibilla)
コリンヌはドメニキーノのシビュラのような装いをしていた。インド風のターバンを頭に巻いて、それが美しい黒髪に絡まっていた。彼女は白いドレスを着て、胸の下に青いストールを巻いた。その身なりはかなり目立つものであったが、常識の範囲内で、過剰ではなかった。(コリンヌ、2-I)
ついに彼らはティヴォリに到着した。・・・・コリンヌの家はテヴェローネの騒々しい滝の上にあった。彼女の庭の反対側の丘の頂にはシビュラの神殿(ヴェスタ神殿)が見えた。古代人は高台に神殿を建てる、という美しい考えを持っていた。神殿は田園風景一体を見据え、それはあたかも宗教的考えが他のすべての考えに影響を与えることを実証して見せたかのような見事な景観だった。・・・・遺跡はイタリアの田園風景の中でみごとな魅力を放っている。近代の建造物とは異なり、それらは人の仕事と存在を思い起こさせることはなく、木や自然と見事に一つになっている。遺跡は孤独な渓流とも調和しているが、それはまさに現在の遺跡になるまでの時間のイメージを表しているかのようである。・・・コリンの別荘として、神意を伝える女性に奉献されたこのシビュラ神殿周辺以上にふさわしい場所は他にないだろう。(コリンヌ、8-IV)
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解説
シビュラとはもともと女性の名前で、紀元前1世紀ごろには10人のシビュラの記録が残っている。その1人がティヴェリのシビュラだった。彼女はもともとアポロンの神託を受け取る古代の地中海世界の巫女の1人だった。この絵が示す通り、スタールはコリンヌのイメージをティヴェリのシビュラに重ねた。
スタールがシビュラ神殿と呼び今日一般にヴェスタ神殿として一般に知られているこのティヴォリにある美しい神殿は紀元前1世紀に建設されたが、そこにどんな神が奉られたのかについはわかっていない。またこの神殿はローマの同名のヴェスタ神殿とは関係ない。この神殿は高台に建設されテヴェローネの滝を見下ろしている。小説の中で、コリンヌはこの辺りに別荘を持っていたが、その景観は18世紀と今日では大きく様変わりしてしまった。
解説
サン・ピエトロ大聖堂はカトリック教会の総本山である。もともとこのあたりはローマ住民のための共同墓地だったが、64年に聖ペテロが異教の罪によりネロ帝により十字に付された。その後キリスト教を公認したコンスタンティヌス帝はここを聖堂とし聖ペテロの遺体を聖堂地下に埋葬した。このように1代目の大聖堂は4世紀に建設されたが、現在に残るのは1626年に完成された2代目の大聖堂である。